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株式会社 夢の友出版 公式ブログ

 

ホームシアターをつくる(9)~遮音の理論 

ホームシアターを本格的に楽しむためには、ある程度大きな音量が必要です。一般的にシアタールーム内の音響処理は入念に行いますが、シアタールームの外側に与える影響への配慮となると、必ずしも十分ではないのが実情ではないでしょうか。特に、マンションなどの集合住宅では大音量や低音の振動が建物全体に伝わり、隣接する多くの人の迷惑となることも多いものです。今回は、遮音の基本的な理論について考えます。
① 透過損失
どのくらいの音を遮るかを量で示したもので、遮音材量(石膏ボーや合板、コンクリートブロックなど)の遮音性能を表します。
発せられた音のエネルギーEi が遮音材料に入射し、その材料を透過していくエネルギーをEt とするとき、この比のことを透過率(τ)といいます。式は以下の通りです。

τ=Et/Ei

この透過率τ の逆数をdb(対数)表示したものを、透過損失TL といい、この数値が大きいほど遮音特性が大きいということになります。式は以下の通りです。

TL=10log10(1/τ)  単位はdb

② 質量則
遮音を考えるうえで最も大切な法則で、ガラスやコンクリートのような単一の遮音材量は、単位面積当たりの質量(面密度)が大きいほど、また同じ面密度(厚さ)であれば周波数が高いほど、透過損失(遮音性能)が大きくなるというものです。式は以下の通りです。

TL=20log10(f・m)  単位はdb [ f : 周波数(Hz) m: 面密度(㎏/㎡)]

この式で計算すると、材料の厚さ(面密度)を2倍にしても、透過損失は約5db程度しか増加しません。

③ コインシデンス効果
遮音材量が、ある特定の周波数で透過損失が極端に下がる現象をいいます。遮音を考えるうえで十分考慮しておく必要があります。コインシデンス効果は、材料が硬いほど、同一材料では厚いほど、低い周波数で生じることがわかっています。

今回は、ちょっと難しかったかも知れませんね。興味のある方は、市販の専門書を参考にして勉強してみましょう。

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Category: ホームシアター

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Janre: 趣味・実用

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17年ぶりの大増税~消費税増税でくらしはどう変わるのでしょう? 

1997年4月に消費税5パーセントになって以来、17年ぶりの大増税となる今回の消費税増税は、私たちの生活にどんな影響を与えるのでしょう?今回は、6/26の衆議院可決で成立が時間の問題となった「消費増税関連法案」を検証しておきましょう。
① 消費税
*増税の幅  2014年4月⇒8% 2015年10月⇒10%(税収は13.5兆円増を見込む)
*10%引上げ後の2016年における家計の目減り額(夫婦と子ども2人の4人世帯)
 年収    目減り額
300万円⇒-25万円     
500万円⇒-33万円
800万円⇒-43万円   
1000万円⇒-62万円
1500万円⇒-76万円     
2000万円⇒-101万円    (大和総研試算)
*付帯事項 増税予定の半年前に、経済状況を見極めて実施するかどうかを判断する。また、2011年度からの10年間平均で名目成長率3%、実質成長率2%に近づける政策を推進する。

② 低所得者への対策
*8%引上げ時に「簡素な給付措置」を検討する。⇒お金を配る方式
*8%引上げ以降では、「軽減税率」の導入を検討する。
*「共通番号制度」(マイナンバー)の実施を前提に、その定着時に「給付つき税額控除」の導入を検討する。⇒お金の給付、所得税の減税など
*自動車取得税、自動車重量税の軽減を検討する。
*住宅ローン減税の拡充を検討する。⇒所得税の減免など

③ 社会保障
*年金  年金の受給に必要とされる加入期間を25年から10年に短縮する。公務員と会社員の年金制度を統合する。産休期間中の保険料を免除するなど。
*子育て支援  「認定こども園」を拡充する。⇒「総合こども園」創設は取り下げる。
*最低保障年金制度  法案成立後に、超党派で構成される「国民会議」を立ち上げ、議論をゆだねる。⇒先送りする。
*後期高齢者医療制度の廃止  上記「国民会議」にゆだねる。⇒先送りする。

概略は上記のとおりですが、曖昧な点や先送りが多いうえ、景気浮揚や経費削減などの基本理念が示されていません。また、最も重要な消費税の使い道について明確な指針が示されていません。
私たちのくらしの視点からいえば、今のうちから個人レベルでの生活防衛策を、真剣に考えておく必要があるでしょう。

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Category: 生活

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ブログに生かせる言葉の知識(4)~難解熟語の由来を知る 

よく見かける熟語の本来の意味は、その由来は?ちょっとだけ調べてみました。

阿吽(あうん) サンスクリット語の“a”“hum”の音を漢字化したもの。サンスクリット語の字母表の順番では、「阿」は最初で口を開いて発音し、「吽」は最後に口を閉じて発音する。転じて“阿吽の呼吸”と表現し、気持ちが微妙に一致する様をいう。
杞憂(きゆう) 中国・周の時代、杞の国の男が、天が落ちてこないかと心配のあまり食事ものどを通らないほどだったという故事から、実際に起こらないことを憂い、無用な心配をするという意味で使われる。
懺悔(ざんげ) 元来は仏教用語で、「さんげ」と発音する。サンスクリット語で罪を告白するという意味の“ksama”の発音を漢字にあてはめたもの。己の罪を神仏に告白し悔い改めるという意味。
娑婆(しゃば) 仏教用語で、忍耐という意味のサンスクリット語“sahã”の音を漢字にあてはめたもの。忍耐が必要な「人の世」をいうが、江戸・吉原では遊郭の中が“極楽”、外の世界は“娑婆”と呼ばれた。
首級(しゅきゅう) 中国の戦国時代・秦では打ち取った敵の首の数で階級が決められ、首を一つとるごとに階級が一つ上がる制度となっていたことから、討ちとった敵の首、しるしを意味する。「敵将の首級を挙げる」などと使う。
折檻(せっかん) 「檻」は手すり。中国の故事に皇帝の怒りをかった朱雲という人物が、その家来に乱暴され手すりにつかまって耐えたところ手すりが折れてしまったということから、「懲らしめる」という意味で使われる。
跋扈(ばっこ) 「跋」は越えるという意味で、「扈」は水中の籠のこと。跋扈とは中国の言葉で、水中に仕掛けた籠から魚が飛び跳ねる様子をいうことから転じて、欲しいままに振る舞うこと、はびこるさまをいう。
未曾有(みぞう) サンスクリット語で「奇跡」を意味する言葉が漢字化されたもので、「未だ曾て有らず」ということ。非常に珍しいという意味。
奈落(ならく) 仏教用語で地獄を意味する。もともとはサンスクリット語の“naraku”を漢字で表したもの。どん底という意味から、舞台の下の部分を指すことも。
斟酌(しんしゃく) 「斟」と「酌」は二つとも水や酒を汲むという意味。古くはほどよく汲み分けるということから、相手の意を汲む、あるいは手加減する、遠慮するという意味で使われる。

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Category: 言葉

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再びフェルメールを想う~「真珠の耳飾りの少女」鑑賞のポイント 

いよいよ6月30日(土)から(9月17日(月・祝日)まで)上野の東京都美術館企画展示室で「マウリッツハイス美術館展」が始まります。17世紀オランダの「黄金時代」とされるフランドル絵画の貴重な名品を集めた展覧会です。なかでも注目は、現存する作品がわずか三十数点と少なく、光の魔術師といわれるフェルメールの人気作品「真珠の耳飾りの少女」と「ディアナとニンフたち」の2点が含まれていることです。
マウリッツハイス美術館のあるハーグは、オランダ第3の都市で、ベトリックス女王の住まいがある政治の中心地。1822年に個人の邸宅を美術館として開館し、オラニエ家が所蔵していた絵画を中心にした約800点と少ない所蔵点数ですが、17世紀オランダ・フランドル絵画の名品が所蔵されています。近くには、フェルメールが生涯過ごしたデルフトがあります。
フェルメールの絵で常に人気ランキング第一位を占めるのが「真珠の耳飾りの少女」です。フェルメールが若い女性の顔を大きく描いた作品は、この作品と数年後に描いた「少女」の二点が現存しているだけです。1660年代のオランダでは自画像などの肖像画が隆盛を極めていましたが、フェルメールのこれらの作品は、この時代の新しい試みである不特定人物の頭部像を描く“トローニー”と呼ばれるジャンルのもので、彼が創作した架空の人物画とされています。
ところで、「真珠の耳飾りの少女」という謎めいた絵を理解する方法として、次の5つの角度から迫ってみるとわかりやすいでしょう。
第一 どこを見つめているのか、また、左右の瞳の視点が微妙にずれている謎
第二 何かを囁こうとしているつややかな唇の謎
第三 纏っている古代風装束の謎
第四 ターバンの青色の謎
第五 耳飾りの真珠の輝きと陰影の謎
これらの謎は、歴史的にも専門家によってさまざまに検証されてきましたが、明確なこたえはまだありません。みなさんもこれらの作品に直接触れ考えるための契機として、ぜひこの美術展に足を運んでみてはいかがでしょう?
なお、ご感想などお寄せいただければ幸いです。

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Category: 美術

Thread: 絵画・美術

Janre: 学問・文化・芸術

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「気象予報士試験」問題に挑戦(3)~大気の構造について 

過去の問題から、今回は大気の構造の問題です。

問題 地球と惑星の大気に関する次の①~⑤の記述のうち、誤っているものを一つ選べ。

① 木星や土星の大気の主成分は、太陽の組成と同じく、水素とヘリウムである。原始の地球の大気も同様であったが、太陽風等により吹き払われ、現在の地球の大気はその後の地球内部からしみ出したガスで生成されたと考えられている。
② 火星や金星の大気は二酸化炭素が主成分であるのに対し、地球の大気は窒素と酸素が主成分である。
③ 地球の大気に二酸化炭素の割合が少ないのは、火山の噴出ガスの成分中に二酸化炭素が含まれていないためである。
④ 火星は表面温度が低いため水分は固体としてしか存在できず、金星は表面温度が高く水分があったとしても気体でしか存在できない。それに対し、地球では水分が固体、液体、気体の3相で存在する。
⑤ 地球の大気中の酸素は、主として植物の光合成でつくられたと考えられている。

解答 ①○ ②○ ③× ④○ ⑤○
説明 火山の噴出ガスの中には二酸化炭素が含まれています。

(『気象予報士学科試験』ナツメ社刊から抜粋)

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Category: 気象

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文学の小路~作家と作品(9)立原道造 

立原道造は大正3年(1914)7月30日、東京日本橋に生まれた。祖先には『大日本史』を編纂した立原翠軒や画家の立原杏所がいる家系。幼少のころから詩作への関心が高く、東京府立第三中学(現都立両国高校)から旧制の第一高等学校に進学すると短歌クラブに所属し詩を投稿したり、校友会雑誌に物語「あひみてののち」を発表する一方、自作の詩集を創刊するなど活発な創作活動を行う。昭和9年(1934)東京帝国大学建築学科に入学、在学中は建築の奨励賞である辰野金吾賞を受賞するなど優秀な成績を修める。昭和9年に初めて信州追分に滞在したのを機に、追分の抒情的な風光を愛しその後の多くの詩作のテーマとした。昭和12年大学を卒業すると建築事務所に勤務しながら創作活動を続ける。
その後、前田夕暮主宰の『詩歌』に自由律短歌を発表したが、三好達治の四行詩に触発されて詩作に転じ、堀辰雄、室生犀星に師事した。立原は、津村信夫や丸山薫らの影響を受けながら、独自の十四行形式の定型詩(ソネット形式)を創り出し、青春の孤独と不安、優しさとあこがれなどを抒情豊かに詠い上げた。立原の詩は、透き通るような純粋なおもいのなかに繊細な言葉が散りばめられ、風のように爽やかな余韻を残して通り過ぎていく、そんな印象を読む者に与える。(筆者の感想です。)
立原は詩作のほか、短歌や俳句、物語をはじめ、大学で学んだ建築設計やデッサン、パステル画などの多くの作品を残したが、昭和14年(1939)3月29日、結核のため24歳という若さで急逝した。
詩集に『萱草(わすれぐさ)に寄す』『暁と夕の詩』(昭和12年)があり、没後の昭和22年に、堀辰雄により『優しき歌』が刊行された。全集は、戦前に一度、戦後に計四度刊行されている。また、第1回中原中也賞を受賞している。

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Janre: 小説・文学

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日本の写真家~その人と作品(1)入江泰吉 

入江泰吉(1905~1992)は奈良市に生まれ、生涯の大部分を奈良・大和路の風景や古寺を撮影しつづけた日本を代表する写真家。その作品は、日本古来の文化と自然讃美につらぬかれた「心象的な風景」を写しだしたものとして、多くの人々から高い評価を得ました。
彼は、10代後半から写真に親しみ、20歳のときに大阪のカメラ卸店に入社、26歳で大阪に写真店光芸社を開業しました。その後、文楽人形の撮影に没頭し、戦時中の昭和17年には大阪高島屋で初の個展「文楽人形写真展」を開催しました。昭和20年の大阪大空襲で自宅が全焼したため、生家のある奈良に身を寄せていました。そこで彼は写真家としての一生を決定づける亀井勝一郎の著書『大和古寺風物誌』に出合うことになります。
この本には次のような一節があります。「西の京から薬師寺と唐招提寺へ行く途中の春景色に初めて接したとき、これがほんとうの由緒正しい春というものかと思った。~中略~その一木一草には、古の奈良の都の余香がしみわたっている。~中略~塔と伽藍からたち昇る千二百年の幽気が、この辺りのすべてに漂っているように思えた。」(『大和古寺風物誌』創元社刊、新潮社で再刊)
彼は、まさにこの本に触発され“古寺遍歴”を本格的に開始したのです。終戦後は、大和路の仏像と光景の撮影に全精力を傾け、東大寺、法隆寺、唐招提寺、薬師寺などを訪ね歩きました。昭和21年には、幼なじみの東大寺観音院住職上司海雲(後に東大寺管長となる)と再会し、彼をとおして志賀直哉、小林秀雄、杉本健吉、須田剋太らの文学者、画家たちとの交流の輪を広げ、仏像にとどまらず、四季の趣を湛える奈良盆地一帯の古寺や民家や旧道沿いの風景や東大寺二月堂のお水取りなどの行事の撮影にも力を入れることとなりました。
昭和33年、小林秀雄の勧めで初の個人作品集『大和路』(序文は志賀直哉)を刊行、さらに昭和35年には続巻『大和路 第二集』を出版しました。この2冊の作品集は、あたかも風景と仏像が織りなす写真が、大和路を逍遥しているかのような感動を読者に与えるもので、これによって入江泰吉の名は一躍全国的に知られるようになり、彼のいう「心象的な風景」という写真様式が確立しました。
その後、それまでの白黒写真から、カラー撮影を中心に制作するようになり、昭和41年日本写真協会功労賞受賞。写真集『古色 大和路』(昭和45年)、『萬葉 大和路』(昭和49年)、『花大和』(昭和51年)の三部作により菊池寛賞受賞。さらに『入江泰吉写真全集』(全8巻集英社刊)が刊行され、写真家としての名声が高まっていきました。
晩年は、宅地開発による自然破壊と景観の変貌に強い危機感と割り切れない思いを抱き、撮影のアングルを変えたり不要なものを靄(もや)や薄闇に紛れ込ませたりして、必死に大和路の“心象風景”を守ろうとしました。
平成4年(1992)1月16日、入江泰吉は、開館予定の美術館に展示する作品のキャプション原稿を仕上げた直後に86歳の生涯を閉じました。この年の4月、彼の遺した全作品と愛蔵品を収蔵する奈良市写真美術館(財団法人入江泰吉記念美術財団運営)が奈良市高畑町に開館しました。

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Category: 写真

Thread: 史跡・神社・仏閣

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江戸・安政の大地震はナマズが関与したって本当? 

安政2年(1855)10月2日、夜の10時ごろ、江戸を中心に大地を揺るがす鳴動とともに大地震が発生しました。世にいう安政の大地震です。震源地は、亀有を中心に亀戸にかけての地域で、いわゆる直下型地震でした。最初の震動で家屋が倒壊しかけたので、多くの人々があわてて外へ飛び出しましたが、少しして揺れが静まりかけたので、貴重品や家財道具を持ち出すために再び家の中に戻ったそうです。その瞬間、主震動の激震が襲いかかったため、初震動で脆くなっていた家が完全に倒壊、そのためおびただしい人々が圧死するという大惨事となりました。このとき飛び出して家に戻らなかった人はほとんどが無事に助かったということですが、これは特に注目に値します。
地盤の堅硬な山の手は被害が比較的軽微でしたが、下町でも日本橋から京橋、銀座通りから新橋にかけては損害がほとんどありませんでした。一方、吉原や神田小川町、本所深川などは、地震による火災のため壊滅的被害となりました。しかし、この火災被害も後の関東大震災のときと比べれば比較的軽いものだったそうです。
さて、本題に入りましょう。この安政の大地震では、ナマズが地震に関与したといううわさが飛び交ったそうです。以前からナマズ地震説はありましたが、このときは、地震の起こる直前に、ナマズが水面に浮かんできて飛び跳ねる光景が江戸の各地で盛んに目撃されていたそうです。
『藤岡屋日記』という古文書には、次のような内容の記述があります。
~本所永倉町の男が10月2日の夕方、ウナギを獲りに出かけたが、川筋をいくら歩いてもナマズが騒いでいてウナギが一匹も獲れなかった。男は、「ナマズが騒ぐときは地震がある」という言葉を思い出したため、急いで家に帰り庭にむしろを敷いて家財道具を持ち出し、地震に備えたていた。この男の女房は、夫の気が変になったのかと大いに笑っていたが、夜中に突然大地震が起こり、住居は全壊したが持ち出した家財道具とこの夫婦は無事だった。~というものです。
安政の大地震のときは、ナマズと地震を結びつけた「錦絵」が400種類も出回ったということですが、実際に地震に関係する何らかの前兆現象があったと考えるのが自然でしょう。ナマズと地震の関係を完全に否定する根拠もないわけですから。
近い将来、高い確率で起こるとされる東京直下型地震の前兆を知る意味でも、詳しく研究する余地があるのではないでしょうか?

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Category: 自然現象

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人生の名言~知恵と行動の源泉 

知恵と洞察に満ちた言葉は、どんなピンチの時でも人を救い、正しい行動に導いてくれるものです。今回は、古今東西の知恵者の言葉に耳を傾けてみましょう。

① 自分にできないと考えている間は、人は、本当はそのことをやりたくないと心にきめている。(スピノザ)
② この世のいかなる偉業も情熱なしには成就されなかった。(ヘーゲル)
③ 人間を誘惑できないような者は、また人を救うこともできない。(キェルケゴール)
④ 天才とは1パーセントの霊感(インスピレーション)と99パーセントの発汗(パースピレーション)だ。(エジソン)
⑤ 純文学にして通俗小説、このこと以外に文芸復興は絶対にありえない。(横光利一)
⑥ 願望の実現が、夢の内容である。(フロイト)
⑦ 人生は陰鬱の色をもっている。しかし、この陰鬱の色は、絵画そのものの現実である。(マルサス)
⑧ 満足した豚になるよりも、不満足な人間となるほうがいい。(J・S・ミル)
⑨ それをやりにおれが生まれてきた、そのことだけを考えればよい。(ヘミングウェイ)
⑩ もしも美しいまつ毛の下に涙がたまったら、溢れ出ないように、強い勇気でこらえるべきだ。(ベートーヴェン)
⑪ 人はその頭脳をもって描き出すのであって、手をもって描くのではない。(ミケランジェロ)
⑫ 僕がこの世に残した多くの肖像のうちで最も大切なのは、一人ひとりの友人の記憶と感情に刻まれた儚い、消えやすい僕の偲(おもかげ)に他ならない。(リルケ)
⑬ 詩人は行為せよ。(中原中也)
⑭ 家庭の幸福は諸悪のもと。(太宰治)
⑮ 人をまことの我と思うや。(吉井勇)

深く考えさせられる言葉ばかりですね。

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Category: 言葉

Thread: ことば

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クラシック音楽の森(6)~ドビュッシー 

パリに生まれたクロード・ドビュッシー(Claude Debussy 1862~1918)は、10歳でパリ音楽院のマルモンテルのピアノのクラスに入り、和声やソルフェージュ(楽譜を読むことを中心とした基礎訓練)を学び、18歳からはエルネスト・ギローに作曲を学びました。ギローはこのころのドビュッシーを、聡明で将来は有望であるが非常に風変りと評しています。1880~82年の夏休みには、ロシアの音楽好きな富豪フォン・メック夫人(チャイコフスキーの保護者として有名)に雇われ、ピアニストとしてイタリア、スイス、オーストリア、ロシアを旅行し、ワグナーの楽劇やロシア音楽などに触れ感銘を受けました。
1884年には、カンタータ「放蕩息子」でローマ大賞第一位となり、2年間のイタリア留学の特典を得ました。留学作品の第二作として提出した交響曲「春」は、漠然とした印象主義と酷評を受け、アカデミーから受理を拒否される事態となりましたが、ドビュッシーは自分の感性から湧き出す音楽を追求しつづけました。1888年と89年の夏にはバイロイトを訪れ、イタリア留学以来傾倒していたワグナーの楽劇をじっくりと鑑賞しますが、自分の目指すべき音楽の方向との違いを思い知ることとなります。以後、ドビュッシーは、ワグナーの個性的で重厚な総合舞台芸術としての楽劇とは決別し、自ら受けた印象を表出する音楽を模索していくこととなります。それは当時活躍していた印象派の画家たちとも通ずるものでした。また、1889年のパリ万国博覧会では、自由な形式で新鮮なリズムのガムラン音楽に強く魅かれ、ロシアのスラヴ系音楽に感銘する機会ともなりました。
その後も彼は象徴派詩人との交流を深め、詩と音楽を融合させた独自の表現方法を模索しつづけました。1893年の「弦楽四重奏曲」を経て、1894年には、近代フランス象徴派を代表する詩人ステファヌ・マラルメ『牧神の午後』に触発され「牧神の午後への前奏曲」を完成、その年の12月22日にパリで初演され大成功を収めるに及び、ついに彼独自の新たな様式を確立するにいたりました。
さらに、1899年「夜想曲」、1902年オペラ「ペレアスとメリザンド」、1911年バレエ音楽「聖セバスティアンの殉教」へと発展し、印象派の絵画を音楽で表現したような交響詩「海」、「管弦楽のための影像」(1912)などの傑作を発表、晩年の室内楽へとつづいていきます。
ドビュッシーは、人生で出会った多くの人々や環境から、多種多様な音楽の可能性を追求し、それを彼自身の繊細で豊かな感受性でとらえ、独自の様式を築き上げていったのです。彼は、ロマン主義から現代への架け橋として音楽史上きわめて重要な役割を果たし、その後の作曲家たちに多大な影響を与えました。
(参考) ドビュッシーが触発され作曲したフランス詩人と音楽作品
① ヴェルレーヌ詩集『言葉なき恋歌』『叡智』⇒「月の光」(歌曲)
② マラルメ詩集『牧神の午後』⇒「牧神の午後への前奏曲」(管弦楽曲)
③ メーテルリンク小説『青い鳥』⇒「ペリアスとメリザンド」(オペラ)
④ ピエール・ルイス詩集『ビリティスの歌』⇒「ビリティスの歌」(歌曲)

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Category: 音楽・クラシック

Thread: 音楽

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あなたは「部首の名前」を知っていますか? 

難しい漢字を調べるときなど部首で引いてみることがありますが、以下の部首の名前を言えますか? あなたも挑戦してみてください。

(あくび) 次、欧、欣、欲、款、欺、欽、歌、歓、歌、歓 など
(おおがい)  頃、頂、項、順、須、預、領、頬、頰、頽、額、顕、顔、類、願、顧、類 など
(おのづくり)  斥、斧、斬、断、斯、新 など
(かい、かいへん)  貞、負、貢、財、貨、貫、戝、貪、販、貽、賀、貴、貼、賜、贈、贔 など
(けいがまえ、まきがまえ)  円、内、冊、再、冓、册、冊、冑、冕、㒼 など
(さんづくり)  形、彦、彩、彫、彪、彬、彭、彰、彯、影 など
(しかばね)  尺、尻、尽、局、尾、届、居、屈、屋、屏、屑、展、履、層 など
(にくづき)  肌、有、肋、肝、肓、肛、肖、肘、育、肩、股、肯、肴、肢、肧、胎、胆、脇、胸、朔、能、脱、腹 など
(にんにょう)  允、元、兄、兇、光、充、先、兆、克、児、免、兔、党、兜 など
(のぎへん)  私、秀、科、秋、秒、秤、称、秦、租、秩、秡、秘、秠、移、税、稔 など
(ふしづくり)  卬、卯、夘、印、却、即、卵、卿、卸、卮、危、卷 など
(ふるとり)  隼、隻、雀、雁、雄、雅、雑、雌、雛、離、難 など
さて、漢字についての薀蓄が増えましたか?

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Category: 言葉

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出版物の再販制度と定価表示の自主基準について 

出版物の再販制度(再販売価格維持制度)とは、出版社が書籍・雑誌の定価を決定し、小売書店等で定価販売を行う制度です。独占禁止法は、原則として再販売価格の拘束を禁止していますが、出版業界では、古くから正価販売を行ってきた伝統や歴史があることなどから、昭和28年(1953)に独占禁止法の一部改正により適用除外の章が設けられ、出版物(正確には著作物)の再販制度が認められました。これによって、出版物の定価販売が励行されることになったわけです。この制度は、全国の読者に多種多様な出版物を同一価格で提供していくために重要な役割を果たしています。
その後、昭和55年(1980)には、一部の条件が緩和され、①出版社が再販商品とするか否かを決定すること(部分再販)、②一定期間を過ぎた再販商品の非再販化(時限再販)、③再販商品については「定価」として販売価格を表示すること、④再販に関する関係業者間での契約締結義務など、制度の見直しがはかられました。これによって一部の値引き販売が可能となりました。
この新再販制度において非再販物は出版しやすい環境となりましたが、市場の混乱や著作権者の権利が守られないなど、出版業界の健全な発展を阻害する危険性もありました。
そこで、出版物において再販と非再販の秩序ある運用と円滑な流通を維持するため、昭和59年(1984)「出版物の価格表示に関する自主基準」が再販売価格維持契約委員会によって策定され、その実施要領が公取委の指導で決定されました。この基準により再販本と非再販本の正常な流通が行われるようになりました。(平成13年4月1日一部改定)
この見直しでは、再販本には「定価○○円」と表示し、非再販本には「定価」という表示ができないこと、また、出版社は、一度定価を定めた出版物について、発行後に自己の判断により取り消すことができるとこととしました。なお、非再販本であることを示す用語としては、「バーゲン・ブック(B・B)」「自由価格本」「特価本」の三種類とすることと定めています。

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Category: 出版界

Thread: 本に関すること

Janre: 本・雑誌

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「気象予報士試験」問題に挑戦(2)~気象災害について 

過去の問題から、今回は気象災害の問題です。よろしければちょっと考えてみてください。
問題 気象と災害の関係について以下の①~⑤の記述のうち、誤っているものを一つ選べ。
① 地表に降った雨水が河川へ速やかに排出されない場合に起こる低地の浸水は、河川が増水してあふれたり堤防が決壊して起こる洪水による浸水と比べて、一般に規模は小さいが、都市部においては社会活動や経済活動に大きな被害をもたらすことがある。
② 山崩れやがけ崩れは、持続的な大雨や短時間の強雨を原因として突発的に発生することが多い。気象庁は、府県予報区内のどこかで、大雨による山崩れ、がけ崩れの可能性が高いと予想される場合、大雨警報、大雨注意報の中でその旨を警告している。
③ 融雪害は、降雨や気温の上昇で山地や平地に積もった雪が融けて発生する災害の総称である。具体的には、浸水害、洪水害、山・がけ崩れ害、全層なだれ害などとなって現れ、春の多雪地帯では最も警戒が必要な災害である。
④ 風害の中では、風圧による直接の被害が多い。台風の襲来時などに発表される情報では、風速は10分間平均風速と瞬間風速が用いられる。風圧は風速の2乗に比例するので、平均風速だけでなく瞬間風速を考慮して対策をとることが必要である。
⑤ 台風など顕著な擾乱(じょうらん)に伴って海上から陸上に向かって強い風が吹くと、海水飛沫が陸上の地物に付着して被害が発生することがある。この被害を塩風害と呼んでいるが、一般に擾乱に伴う降水量が少ないときは、被害の程度が緩和される。

解答 ①○ ②○ ③○ ④○ ⑤×
*説明(⑤について) 台風などに伴って海上から陸上に向かって強風が吹くと、海水飛沫が陸上の農作物や送電線の碍子などに付着して塩害を発生することがあります。降雨が強ければ塩分は雨で洗い流されますが、降雨が少ないと付着したまま残るので被害は大きくなります。

(『気象予報士学科試験』ナツメ社刊から抜粋)

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Category: 気象

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ホームシアターをつくる(8)~三原色と目のしくみ 

すべての色は、RGBの3原色の合成で表現できるとされています。ヤングやヘルムホルツの三原色説です。(RGB=赤・緑・青)
人間の目の網膜には、光を感じる2種類の細胞があります。桿体細胞と錐体細胞です。このうち、捍体細胞は、うす暗いところでわずかな明暗を感じる力をもっていますが、色を感じることはできません。一方、錐体細胞は、明るいところではたらく細胞で、網膜全体に広く分布しており、色を感じるとることができます。
しかし、この錐体細胞も、長波長(赤)、中波長(緑)、短波長(青)の3点にしか感知しません。この特性を利用したのが三原色説で、現在、カメラやテレビなどのディスプレイ機器ではこの原理が利用されています。
例えば、太陽光はすべての色の成分を均等に持っていますが、この太陽光のもとで黄色に見える物体からは、光の波長で580 nm~595nm(黄色)の光が反射しています。しかし、錐体細胞には、黄色を感知する細胞は存在しないため、赤と緑を感知する細胞でそれぞれの光の成分の強さを脳に伝え、脳で合成することによって黄色と知覚しているわけです。(注:1nm=10億分の1m)
CIE(国際照明委員会)で定めた等エネルギースペクトルに対する目の感度をスペクトル刺激値といい、感度曲線を等色関数といいますが、これによれば、RGBを混合することにより、どんな色でも作り出すことができます(正確にはわずかな例外があります。)。このグラフでは、例えば、600nm近辺の「橙色」は、錐体細胞で赤を感じる細胞が1、緑が0.5の割合となり、これを脳が「橙色」と知覚しているのです。
また、三原色と類似する反対色説(RGBYの4色説)もありますが、これは生理的メカニズムではなく心理的な面を考慮した説であり、現在では、三色説と四色説を組み合わせた説(「段階説」と呼ばれている。)が定着しています。
なお、RGBのように光の混色で表現することを「加法混色」といい、印刷物のように光らない場合にMYC(マゼンタ・イエロー・シアン)の混色で表現することを「減法混色」といいます。

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Category: ホームシアター

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恋愛遍歴から生まれたゲーテの作品 

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe 1749~1832)の生涯は大きく青年期、中年期、晩年期の3期に分けられる。彼は、それぞれの時期に経験した多彩な女性遍歴をもとに多くの名作を世に送り出していった。
1749年8月28日にフランクフルトで生まれたゲーテは、幼少期を郷里で過ごし、ライプティヒ大学やシュトラスブルクでの法律の勉強を経て弁護士で生計を立てながら、文学創作にのめり込むという青年期を過ごした。彼のこの時代が疾風怒濤期といわれるように、さまざまな女性との出会いに感化され、若い情熱とエネルギーに満ちた詩や文学作品が多数生み出された。フリーデリケ・ブリオンとの清純な恋、シャルロッテ・ブッフとの叶わぬ恋、婚約までして別れたリリー・シェーネマンとの苦しい恋など、激しい恋の経験からは、ゼーゼンハイムの小曲集として有名な「野ばら」「逢瀬と別れ」「五月の歌」などの詩創作を始め、『若きウェルテルの悩み』『初稿ファウスト』などの作品が生まれ、その後のゲーテの文学に多大な影響を与えることとなった。
中年期にはシラーとの出会いがあり大きな影響を受けた。当時、ゲーテは、ワイマール公国の枢密顧問官として公務に忙殺され、詩の創作活動もままならない状況だった。そんななかシュタイン夫人との出会いは、ゲーテに大きな慰安をもたらすことになったが、官能を封じられた不自然な恋に耐えきれずイタリアへ逃走した。その後、ワイマールに戻ったゲーテは、クリスティアーネ・ブルピウスという工場で働く教養もない官能的な女性と巡り合い結ばれた。彼女との関係は、大きなスキャンダルとなったが、ゲーテにとっては、最も官能的に満たされた喜びの時期で、『ローマ悲歌』はこの時の愛の讃歌とされている。この時期には、古代の調和的な美に目覚め、『エグモント』『ヘルマンとドロテーア』『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』などを創作、シラーとともにドイツ文学における古典主義時代を築くこととなった。ほかに旅行記『イタリア紀行』、自伝『詩と真実』や自然科学者として「植物変態論」『色彩論』などの著作を残している。
シラーの死を経た晩年も創作意欲は衰えず、公務や自然科学研究を続けながら『親和力』『東西詩集』『情熱の三部曲』など円熟した作品を著した。大作『ファウスト』は20代から死の直前まで書き継がれたライフ・ワークである。
晩年のゲーテは、老いて再び若々しい官能と精神性の境地を迎える。ゲーテの恋愛遍歴は続き、74歳のときには当時19歳のウルリーケ・フォン・レヴェツォーに結婚を申し込み断られたという。
ゲーテは躁鬱気質であったとされるが、精神的な昂揚期に体験した多彩な恋愛が糧となって創作意欲が高められた。彼が多くの傑作を生みだした源泉は“恋愛”といっても過言ではない。

(溝井高志著『ゲーテ、その愛』晃洋書房刊を参考に作成)

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Category: 文学

Thread: 文学・小説

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文学の小路~作家と作品(8)太宰治とその作品 

三鷹の禅林寺にある太宰治の墓

太宰治は、明治42年(1909)、青森県北津軽郡(現在の青森県五所川原市)に大地主の子として生まれました。本名は津島修治。裕福な家庭に育ち学業にも秀でていた太宰は、中学時代に同人誌を創刊し作家を目指しました。弘前高等学校文科では左翼思想に傾倒し、昭和5年、東京帝国大学文学部に進学すると左翼運動に深くかかわりますが、政治運動の非人間性に悩み運動から脱落します。その罪の意識から何度も自殺未遂を繰り返しますが、昭和14年に遺書として自らの生い立ちや心情を綴った小説集『晩年』が評判となり、新進作家としてデビューすることになりました。太宰は、これ以降、昭和15年『走れメロス』『駈け込み訴へ』、昭和16年『新ハムレット』、昭和19年『新釈諸国噺』『津軽』、昭和20年『お伽草紙』など、古典やフォークロアを題材とした作品や日本文化に根ざした芸術性の高い作品を次々発表し、類まれな豊かな才能を発揮しました。
戦後は、疑似的な民主主義思想への反発から、昭和21年『春の枯葉』、同22年『ヴィヨンの妻』『斜陽』、同23年『人間失格』などを発表、苦しい時代を生き抜く人々や悩める若者に深い感銘を与え一躍時代の寵児となりました。しかし、『人間失格』を書き上げた同年6月、愛人とともに玉川上水に身を投じ、ついに帰らぬ人となりました。
太宰の文学は、抗しがたい自己の欠如意識と純粋で弱さを生涯にわたって持ちつづけた青年の文学と言えます。彼は、直接自分の内心や秘密を語りかけ、読者と対話するような文体・話体により、幅広い人々、特に若い読者たちのこころを捉え多大な影響を与えました。
太宰治の命日である6月19日は「桜桃忌」と名づけられ、墓所のある禅林寺(三鷹市下連雀)には、現在も毎年多くの太宰ファンが参拝に訪れています。
(写真は、東京三鷹の禅林寺にある太宰治の墓)

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Category: 文学

Thread: 文学・小説

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表現力をたかめる(1)~さりげなく外国のことばを使ってみる 

文章の微妙なニュアンス、テイストを表現する一つの方法として、外国語のもつエキゾティックなイメージを活用する方法があります。広告の世界ではよく用いられますが、文学作品の中にさりげなく組み入れると、新鮮な感覚を表現できるかも知れません。以下の中からあなたのイメージに合う外国のことばを探してみましょう。日本語・英語・ドイツ語・フランス語・イタリア語の順に掲載します。

・愛  love-ラヴ  Liebe-リーベ  amour-アムール  amore-アモーレ
・遊び  game-ゲイム Spiel-シュピール jeu-ジュー gioco-ジョーコ
・ありがとう! Thank you!-サンキュー Danke!-ダンケ Merci!-メルシー Grazie!-グラッツィエ
・生きる live-リヴ leben-レーベン vivre-ヴィーヴル vivere-ヴィーヴェレ 
・印象  impression-インプレッション Eindruck-アインドルック impression-アンプレッシオン impressione-インプレッショーネ
・美しい beautiful-ビューティフル schön-シェーン beau-ボー bello-ベッロ
・うっとりするような fascinating-ファシネイティング entzückend-エントツュッケント ravissant-ラヴィッサン incantevole-インカンテヴォレ
・気まぐれ caprice-カプリース Launen-ラウネン caprice-カプリス capriccio-カプリッチョ
・永遠の eternal―イターナル ewig-エーヴィヒ éternel-エテルネル eterno-エテルノ
・挿話 episode-エピソード Episode-エビゾーデ épisode-エピゾード episodio-エピゾーディオ
・オアシス oasis-オウエイシス Oase-オアーゼ oasis-オアジス oasi―オアジ
・王妃・女王 queen-クィーン Königin―ケーニギン riene-レーヌ regina-レジーナ
・音楽 music-ミュージック Musik-ムズィーク musique-ミュジーク musica―ムジカ
・絵画 picture-ピクチャー Malerei-マーレライ tableau-タブロー pittura-ピットゥーラ
・海賊 pirate-パイレート Seeräuber-ゼーロイバー pirate-ピラート pirata-ピラータ
・会話 conversation-カンヴァセイション Gespräch-ゲシュプレーヒ conversation-コンヴェルサシオン conversazione-コンヴェルサツィオーネ
・風見鶏 weathercock-ウェザーコック  Wetterhahn-ヴェッターハーン girouette-ジルウェット segnavento―セニャヴェント
・勝つ win-ウィン siegen-ズィーゲン gagner-ガニェ vincere-ヴィンチェレ
・神 god-ゴッド Gott-ゴット dieu-ディユ dio-ディーオ
・かわいい cute-キュート lieblich-リープリヒ mignon-ミニョン carino-カリーノ
・甘美な sweet-スウィート süℬ-ズュース délicieux-デリシュー delizioso-デリツィオーゾ
・木星 Jupiter-ジューピター Jupiter-ユーピター Jupiter-ジュピテール Giove-ジョーヴェ
(以下次回)

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Category: 言葉

Thread: 雑記

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本に関する名言集~著名人からのメッセージ 

読書とは何か?人それぞれ、本の読み方があります。古今東西の知識人は読書をどのように思っていたのでしょうか?
「読書は、快適な苦痛である。」(新垣秀雄)
「学ぶ方法とは、私の考えでは繰り返して読むことだ。」(アラン)
「読書とは、つまるところ、邂逅、出会いの問題に帰するだろう。」(臼井吉見)
「いい本を読むとき、私は三千年も生きられたら、と思う。」(エマーソン)
「読書の目的は、自分の理想とするに人間像を心の中に確立することである。」(亀井勝一郎)
「書物なき家は、主人なき家のごとし。書物なき部屋は、魂なき肉体にも似たり。」(キケロ)
「大昔を読むことによって、人は別人となる。極言すれば、その顔も変わるといえるかも知れない。」(小泉信三)
「なるほど本を買うのはいいことだ。ただし、同時にそれを読むための時間も買えるならば」(ショーペンハウエル)
「ベスト・セラーとは、凡庸な才能を鍍金した墓場である。」(U・スミス)
「読書の奥義は、読書を休んで自分ひとりの思いを深めたり、外界の美しさを味わったりするところに見出されるともいえよう。」(田中美知太郎)
「すべてよき書物を読むことは、過去の最も優れた人と会話をかわすようなものだ。」(デカルト)
「人はあまりに速く読むか、あまりにゆっくり読めば何事も理解しない。」(パスカル)
「他の場合においてと同様、読書にも勇気が必要である。ひとはまず始めなければなれない。」(三木清)
「読書の習慣を身につけることは、人生のほとんどすべての不幸からあなたを守る避難所ができることである。」(モーム)
「読む価値がある本は、買う価値がある。」(ラスキン)
「道徳的な書物とか不道徳な書物とかいうようなものはない。書物はよく書かれているか、悪く書かれているかである。」(ワイルド)
さて、参考になりましたか?
(紀田順一郎監修『本の情報事典』出版ニュース社刊より)

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Category: 本一般

Thread: 本に関すること

Janre: 本・雑誌

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クラシック音楽の森(5)~小澤征爾 

1935年、現在の中国瀋陽市生まれ。1941年小学生のときに満州から帰国。成城学園中学校から成城学園高校を経て桐朋女子高校付属の音楽科へ入学。その後、桐朋学園大学短期大学(現在の桐朋学園大学音楽学部)へ進学し教授の齋藤秀雄に指揮の指導を受ける。卒業後は単身渡仏し、1959年にブザンソン国際青年指揮者コンクールで優勝し一躍注目を集めることとなった。その後、カラヤン指揮者コンクール第1位となり、ヘルベルト・フォン・カラヤンに師事。1960年アメリカボストン郊外で開催されたバークシャー音楽祭(現・タングルウッド音楽祭)でクーセヴィツキー賞を受賞。指揮者のシャルル・ミュンシュに師事する。1961年には、ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者に就任し、揮者のレナード・バーンスタインに師事し、同年ニューヨークフィルの来日公演に同行。この時期のカラヤン、バーンスタインとの親交は生涯を通じて深められた。
また、1961年にはNHK交響楽団(N響)の指揮者に招かれ、国内の指揮活動を開始するが、団員たちと衝突しN響の指揮者を辞任した。その後、日本での音楽活動を断念し、渡米した。(注:1995年1月23日サントリーホールにおいて小澤とN響は32年ぶりに共演を果たすこととなった。)
彼の実力は、海外で高い評価を受け、1965年にはロンドン交響楽団を指揮しイギリスでデビュー、1966年にはウィーン・フィルを指揮しザルツブルグ音楽祭へのデビューも果たした。また、1970~76年にはサンフランシスコ交響楽団、1973年にボストン交響楽団の音楽監督に就任するなど、小澤の指揮は世界的に賞賛の的となった。その後、30年以上にわたり、ボストン交響楽団はタングルウッド音楽祭とともに、小澤のホームグランドとなった。一方、故斎藤秀雄門下生が集まって結成した「サイトウ・キネン・オーケストラ」の定期演奏会、新日本フィルの首席指揮者としての演奏会、若手の育成など、日本での活動も精力的に行ってきた。
2002年1月には、日本人指揮者として初めてウィーン・フィルニューイヤーコンサートを指揮し、このコンサートの模様は世界中に同時生中継された。2002年からはウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めている。
2005~06年には体調を崩したため静養を余儀なくされ、ウィーンでの演奏会や東京でのオペラ公演などがキャンセルされた。
2006年6月になってスイス国際音楽アカデミーで指揮活動を再開し、2006年度のサイトウ・キネン・フェスティバル松本も指揮し、日本国内での指揮活動を再開した。また、2007年4月にはベルリンフィルを指揮するなど、世界のオザワの健在ぶりを示した。
2008年には、世界のクラシック音楽界に大きく貢献したことや、若手音楽家育成に尽力した功績が認められ、文化勲章を受章。
2010年1月には人間ドックの検査で食道癌が見つかり、同年6月までの活動を全てキャンセルしたが、同年8月に復帰。この年開催されたサイトウ・キネン・フェスティバル松本では総監督として出演した。
2010年11月には、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団により名誉団員の称号を贈呈された。
現在、療養と体力回復に専念するため指揮活動を休止しているが、一部報道によると来年2月末まで全ての公演の指揮から降板するという。
世界中の多くのクラシックファンは、“日本が生んだ世界的指揮者オザワ”の熱い雄姿をもう一度見たいと願っている。

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Category: 音楽・クラシック

Thread: 音楽

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ホームシアターをつくる(7)~音の三要素とは? 

音の三要素は、「音の大きさ」「音の高さ」「音色」をいいます。今回は、音に関する基礎知識です。
① 音の大きさ 
小さい音、大きい音というように音の強さの度合いを示し、単位はdb(デシベル)で表します。大気圧は1気圧1313hPa(ヘクトパスカル)ですが、人間が音として感じる最大音圧は約20Pa(120db)で大気圧の約1万分の2の大きさ、最小音圧は20μPa(0db)となります。最小の音と最大の音の差は、約100万倍です。なお、1hPa=100Paです。
音圧レベルと圧力、音源の例は、次のとおりです。
100~120db → 2Pa~20Pa → ジェットエンジン音・工事用ハンマー
80~100db → 0.2Pa~2Pa → フルオーケストラ、鉄道ガード下の音、交通騒音
60~80db  → 20mPa~0.2Pa → 機械騒音、事務所
40~60db  → 2mPa~20mPa → 通常会話
20~40db → 0.2mPa~2mPa → ささやき声、静かな部屋
0db   → 20μPa → 最低可聴限界
なお、人間の耳には「ラウドネス特性」があるため、オーディオ機器で、大音量で聞く場合と小さな音量で聞く場合とでは、トーンコントロールの高低バランスを変える必要があります。
② 音の高さ
低音や高音といいますが、1秒間の振動回数(周波数、単位はHz:ヘルツ)で決定され、低い音は振動回数が少なく高い音は多くなります。音響関係では、低音は100Hz以下、高音は5kHz以上をいいます。
③ 音色
音の周波数成分の違いによる感触の違いをいいます。周波数成分のうち一番低い周波数を基音といい、音の高さを決定します。それ以上の周波数成分は倍音といい、固有の音色を決定します。楽器などの音は、基音と倍音が調和関係にあるため美しく豊かな響きになり、雑音や騒音などは非調和の関係にあるため耳障りで不快な音色になります。
(参考)
◇音の定位とは
音がどの方向から聞こえるかは、音が二つ耳に到達する時間差(位相差)と強弱差によって感じることができます。オーディオ機器では、二つのスピーカーから再生される音の強弱や位相関係を変えることで、スピーカー間の任意の位置から音が発生しているように聞こえます。例えば、ジャズの場合は、人の声は中央、ドラムは中央やや左、ピアノは左端、ベースは右端というように、決まった位置から聞こえることを音(音像)が定位しているといいます。各チャンネルの再生レベルや位相関係が正しく設定・調整されていないと、演奏中に音像が移動したり、ばらばらに聞こえたりして、音の定位が得られなくなってしまいます。

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Category: ホームシアター

Thread: デジタル家電・AV機器

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日本画の誕生~橋本雅邦の世界―山水画から風景画へ 

橋本雅邦(1835~1908)は、江戸期の天保6年(1835)7月27日、江戸木挽町(現在の東京銀座)に生まれた。本名は長郷。川越藩の絵師をしていた父橋本晴園の指導を受け、後に狩野派を学ぶが、フェノロサ・岡倉天心の指導を受け、狩野芳崖とともに新しい日本画の創造に尽力する。東京美術学校・日本美術院の創立に参加、横山大観、下村観山、菱田春草など後進の育成にあたった。明治23年(1890)に第3回内国勧業博覧会で「白雲紅樹図」、同28年には、同第4回博覧会で「釈迦羅漢図」がともに妙技1等賞を、明治37年(1904)には「林間残照図」でセントルイス万博の最高賞を受賞した。
江戸の狩野派画塾で画家としての基礎を築いた雅邦は、水墨画などの伝統的な景観表現を行う山水画の画技を身に着けていたが、「白雲紅樹図」ではこれまでの伝統的な山水画を継承しながら、新しい西洋的“風景画”の遠近法や色彩と暈しの画法を用いた。雅邦や大観の輪郭を描かない暈しの画法は“朦朧体”として一部で批判を受けたが、雅邦のこの作品は日本の山水画が風景画へと移行する魁となった。その後、雅邦は、新旧を問わない画壇の大家としの地位を築くこととなり、近代日本画の誕生に極めて重要な位置を占めるにいたった。その他の雅邦の代表作としては、「秋景山水図」「竜虎図屏風」などがある。
数百年にわり芸術的定型として継承されてきた山水画が、明治維新からわずか20年程度で風景画へと変貌を遂げたことは、当時の西洋絵画の衝撃の強さと、変革を求めるこの時代のうねりがいかに強大であったかを物語っている。
雅邦は、日本美術院を辞した後も門下生を中心に二葉会を結成し画家の育成へ支援を続けたが、明治41年(1908)1月13日、72歳で死去した。
(資料)
「白雲紅樹図」(重要文化財)紙本着色 266×159cm 1890年(明治23年)
東京芸術大学芸術資料館所蔵

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Category: 美術

Thread: 絵画・美術

Janre: 学問・文化・芸術

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