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株式会社 夢の友出版 公式ブログ

 

沈む2つの太陽 

2つの太陽
真夏の夕方、東の空に沈む2つの太陽が出現しました。東京都心のビルの窓に反射した太陽が同時に輝いています。よく見ると、中央部にも少し小さめの太陽が確認できます。今年の夏の暑さを象徴するような写真です。(2014.8.5午後6時33分 飯田橋付近で撮影)

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Category: 写真

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藤田弘基写真集『蒸気機関車百景』の発刊を祝う! 

写真集・蒸気機関車百景
◆藤田弘基写真集『蒸気機関車百景』表紙カバー

 2012年9月21日、一人の山岳写真家がこの世を去った。藤田弘基氏、享年73歳であった。
 藤田弘基(ふじた・ひろき)氏は、1939年8月14日東京都新宿生まれ。子どものころから山にあこがれ、学生時代から八ヶ岳や南アルプスなどトレッキングをしながら、日本の山々の写真をカメラに収めていた。夢見ていたのは、全ヒマラヤの撮影。

 そんな1965年の冬、小海線の近くで八ヶ岳連峰にカメラを向けていたとき、汽笛を鳴らし針葉樹林の間からひょっこりとC56が姿を現した。その雄姿に思わずシャッターを切ったのが、藤田氏が蒸気機関車を撮り始めたきっかけである。山々を背景にした大自然とSLの雄姿が一体化した藤田氏の写真は、鉄道マニアの間で評判となり写真エージェントからの撮影依頼が頻繁に来るようになった。
 山岳写真家を目指す藤田氏にとっては戸惑いもあったに違いないが、トレッキングを兼ねてSL撮影で全国を旅することになった。折しも時はSLブーム。彼の大型カメラによる絵画のような美しいSL写真は、マニア対象の雑誌ばかりでなく、豪華写真集としても出版され大きな反響を呼んだ。

 今回の写真集は、藤田氏がSLブームでの渦中で忙殺されていた1970年から75年の間に撮影した膨大な蒸気機関車フィルムの中から、未発表を含め、特に印象深い写真100点をまとめたものだ。北は室蘭本線から南は日豊本線まで、全国42路線を網羅している。昭和40年代後半という年代物のフィルムはすっかり褪色していたが、最新のデジタル技術で躍動感あふれるSLの姿が見事に再現された。

 藤田氏は、その後1966年頃からは、長年の夢であったヒマラヤエリアに入り、本格的な山岳写真の撮影に没頭することになる。(藤田弘基氏業績の詳細については、当社ブログ2012年12月10日付の記事をご覧ください。)

 『蒸気機関車百景』は、企画から4年目に入った編集の途中で、思いもよらぬ藤田氏の入院という事態になったが、写真の選定や解説文の執筆をはじめ、入院中に行った色校正やページ構成、トリミングの指示などは、全て藤田氏自らが行ったという。
 遺作となってしまったこの写真集には、若き日々写真にかけた藤田氏の想いが、熱く伝わってくる。

 童話作家である奥様の茂市久美子さんは、本書献本のあいさつの中で、次のように述べている。

 ~藤田が喜ぶといえば、先日、天文ガイド編集長の方から「藤田さんの名前を新しい星につけてもいいですか」と、夢のような、とても嬉しいお話がありました。
 広い空のかなたで、藤田の名前のついた星が、またたいているなんて、想像しただけでわくわくします。これからますます、空を見上げることが多くなりそうです。~

 なお、奥付の発行日2月14日は、偶然にも藤田ご夫妻の結婚記念日だということが、後日わかったという。
 こころからご冥福をお祈りいたします。

(藤田弘基写真集『『蒸気機関車百景―昭和を駆け抜けた栄光のSL』』A4判・横長・本文136頁 本体価格3,800円 2013年 平凡社刊)

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日本の写真家~その人と作品(1)入江泰吉 

入江泰吉(1905~1992)は奈良市に生まれ、生涯の大部分を奈良・大和路の風景や古寺を撮影しつづけた日本を代表する写真家。その作品は、日本古来の文化と自然讃美につらぬかれた「心象的な風景」を写しだしたものとして、多くの人々から高い評価を得ました。
彼は、10代後半から写真に親しみ、20歳のときに大阪のカメラ卸店に入社、26歳で大阪に写真店光芸社を開業しました。その後、文楽人形の撮影に没頭し、戦時中の昭和17年には大阪高島屋で初の個展「文楽人形写真展」を開催しました。昭和20年の大阪大空襲で自宅が全焼したため、生家のある奈良に身を寄せていました。そこで彼は写真家としての一生を決定づける亀井勝一郎の著書『大和古寺風物誌』に出合うことになります。
この本には次のような一節があります。「西の京から薬師寺と唐招提寺へ行く途中の春景色に初めて接したとき、これがほんとうの由緒正しい春というものかと思った。~中略~その一木一草には、古の奈良の都の余香がしみわたっている。~中略~塔と伽藍からたち昇る千二百年の幽気が、この辺りのすべてに漂っているように思えた。」(『大和古寺風物誌』創元社刊、新潮社で再刊)
彼は、まさにこの本に触発され“古寺遍歴”を本格的に開始したのです。終戦後は、大和路の仏像と光景の撮影に全精力を傾け、東大寺、法隆寺、唐招提寺、薬師寺などを訪ね歩きました。昭和21年には、幼なじみの東大寺観音院住職上司海雲(後に東大寺管長となる)と再会し、彼をとおして志賀直哉、小林秀雄、杉本健吉、須田剋太らの文学者、画家たちとの交流の輪を広げ、仏像にとどまらず、四季の趣を湛える奈良盆地一帯の古寺や民家や旧道沿いの風景や東大寺二月堂のお水取りなどの行事の撮影にも力を入れることとなりました。
昭和33年、小林秀雄の勧めで初の個人作品集『大和路』(序文は志賀直哉)を刊行、さらに昭和35年には続巻『大和路 第二集』を出版しました。この2冊の作品集は、あたかも風景と仏像が織りなす写真が、大和路を逍遥しているかのような感動を読者に与えるもので、これによって入江泰吉の名は一躍全国的に知られるようになり、彼のいう「心象的な風景」という写真様式が確立しました。
その後、それまでの白黒写真から、カラー撮影を中心に制作するようになり、昭和41年日本写真協会功労賞受賞。写真集『古色 大和路』(昭和45年)、『萬葉 大和路』(昭和49年)、『花大和』(昭和51年)の三部作により菊池寛賞受賞。さらに『入江泰吉写真全集』(全8巻集英社刊)が刊行され、写真家としての名声が高まっていきました。
晩年は、宅地開発による自然破壊と景観の変貌に強い危機感と割り切れない思いを抱き、撮影のアングルを変えたり不要なものを靄(もや)や薄闇に紛れ込ませたりして、必死に大和路の“心象風景”を守ろうとしました。
平成4年(1992)1月16日、入江泰吉は、開館予定の美術館に展示する作品のキャプション原稿を仕上げた直後に86歳の生涯を閉じました。この年の4月、彼の遺した全作品と愛蔵品を収蔵する奈良市写真美術館(財団法人入江泰吉記念美術財団運営)が奈良市高畑町に開館しました。

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